
本シリーズでは様々なシーンで利用される干渉計について、その原理や応用例などを解説する。今回は前回に引き続き、マイケルソン干渉計について紹介する。
本シリーズの記事はこちらから:
さまざまな干渉計:干渉計の分類
さまざまな干渉計:フィゾー干渉計(1)
さまざまな干渉計:フィゾー干渉計(2)
さまざまな干渉計:フィゾー干渉計(3)
さまざまな干渉計:トワイマン・グリーン干渉計(1)
さまざまな干渉計:トワイマン・グリーン干渉計(2)
さまざまな干渉計:トワイマン・グリーン干渉計(3)
さまざまな干渉計:トワイマン・グリーン干渉計(4)
さまざまな干渉計:マッハ・ツェンダー干渉計
さまざまな干渉計:マイケルソン干渉計(1)
本シリーズでは干渉計の分類の記事内の図1のように干渉計を分類しており、今回は前回に引き続き、線形光学干渉計の1種である「マイケルソン干渉計」について、とくにこの干渉計の発明に関わるマイケルソン・モーリーの実験について紹介する。
19世紀の物理学では光は波として理解されており、光の波が伝わるための「媒質」が必要であると考えられていた。その媒質は「エーテル(ether)」と呼ばれ、宇宙全体に満ち、光波の伝播を支えるものと想定されていた。もしエーテルが実在するならば、地球はその中を公転運動によって移動しているため、「エーテル風」と呼ばれる相対的な流れが生じるはずである。光速度はこのエーテル風の方向によってわずかに変化すると予想された(図1)。1887年にアメリカの物理学者アルバート・A・マイケルソンとエドワード・W・モーリーは、エーテル風を検出するための実験を行った。

図1:地球の公転とエーテル風。光はエーテルに乗って伝播すると仮定すると、光速は順風の時に速く、逆風の時に遅く伝わるはずである。
このエーテル風を高精度に検出するために考案された装置がマイケルソン干渉計である。この装置では、共通光源からの光をビームスプリッタで二分し、直交する二方向に反射させて再び合波させることで干渉縞を観測する(図2)。一方の光路が他方よりわずかに長く(または短く)なれば、光が合波された際に干渉縞の位置がずれる。地上で実験を行う際、エーテル風の方向は地球の公転および自転によって季節や時刻とともに変化するはずであり、エーテル風の向きが変わるとそれぞれの光路で光速が変化し、干渉縞が移動すると期待された。マイケルソンとモーリーは、装置の向きや観測時刻を変えながら実験を行ったが、干渉縞の変化は予想の約1/40程度であった。これは実験誤差の範囲内であり、実質的に風速は0であると判断された。すなわち、地球の運動による光速度の変化は検出されなかった、ということである。この結果は、エーテルの存在を前提とする古典物理学の枠組みと矛盾するものであった。

図2:マイケルソン干渉計による実験。赤と青の光路でエーテル風の影響が異なるため干渉縞が動くことが期待された。
この実験結果を説明するために、ローレンツとフィッツジェラルドは「運動方向に物体が収縮する」という仮説(ローレンツ=フィッツジェラルド収縮)を提案したが、エーテルそのものの存在意義は次第に曖昧になっていった。最終的に、1905年にアインシュタインが発表した特殊相対性理論が、エーテルを仮定せずにこの結果を自然に説明した。アインシュタインは「光速度はすべての慣性系で一定である」という光速不変の原理を導入し、空間と時間の絶対性を放棄する新しい枠組みを提示するに至った。
マイケルソンとモーリーの実験は直接的に何かを発見したわけではないが、その「何も見つからなかった」という結果が20世紀物理学の基盤を形成する大きな転換点となった。この実験結果は現在、光速不変の原理の実験的根拠として位置づけられている。マイケルソンはこの功績により、1907年にアメリカ人として初めてノーベル物理学賞を受賞した。
次回も引き続きマイケルソン干渉計の解説を行う。
趣味は天文と写真と車。大学では天文サークルに所属し、暗い空を求めて日本中を飛び回っていた。 天文学を極めるために大学院に進学、在籍中は中間赤外線分光器の開発に従事。 カメラやレンズに関する記事を主に担当。